地虫鳴く/木内昇

地虫鳴く

地虫鳴く

 帯の文句から、新選組後の隊士の話かと思ったら、伊東加入あたりから油小路に至るまでを、中心にいた隊士、周辺にいた隊士、複数の隊士の視点で語った物語だった。
 前作『幕末の青嵐』が良かったので期待して読んだが、面白くは無かった。むろん、背景、テーマ自体が重く暗いものなので、物語を楽しむものではないが、読書自体の楽しみとしては退屈という感想に尽きる。
 前作ではどこか堅さというか青さのある雰囲気が良い方に作用していたが、今作はそれが欠点として現れているような気がする。特に登場人物の輪郭が曖昧で、存在感が感じられないことが物語を散漫にしているように思えた。
 テーマでもあるらしい、それぞれの生き方の問題からして、人としての形にぶれが生じるのは当然であるが、物語の中の人物として根を張っていない、話にうまく絡んでいないような違和感が残る。そのために、それぞれが抱えている葛藤が、文章で説明されるほどには伝わってこなかった。空回りしているような印象。
 ただ、生き方に惑う人間の焦燥や閉塞感は感じられたし、新選組を中心にすると比較的ぞんざいに扱われる伊東甲子太郎という存在を描いた点は新鮮ではあった。ただし惹かれるものはなかった。
 ところで、プロローグで作中の人物が後年(明治32年)、新選組当時の話を語る場面は何の意味があるのだろう。本章では、彼以外の人物の視点が多数出てき、その場にいなかった出来事の方が多いので、本章は彼が語った物語というわけではない。
 そして物語は明治4年で終わり、「近藤勇を討ったのは私」という冒頭の発言の真意も語られず、プロローグは回収されずに終わる。あのプロローグは、彼がその後の世も眼光の鋭さを残して生き抜いたということを言いたいのか、あるいは相変わらず己を偽りつつ生き続けたということを言いたいのか、何も見えてこない点が、この小説の感想を集約している。
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