カインの檻

カインの檻 (文春文庫)

カインの檻 (文春文庫)

 性的暴行を受けたむごたらしい少年の遺体が発見された数日後、死刑間近の連続殺人犯が、事件は自分の指示で行われている、死刑を取りやめなければ新たな犠牲者が出る、という脅迫を口にした。死刑囚の発言は狂言なのか、少年殺害犯は誰なのか、果たして刑は予定通り執行されるのか。
 死刑囚の起こした連続婦女暴行殺害事件に関わったFBI心理分析官、刑事、被害者遺族、死刑囚の教誨師である牧師、それぞれが事件の傷を抱え、苦悩しながら、処刑の夜を迎える。

 前半はじわじわと、後半はいっきに読ませる勢いがあった。
 簡単にいえば、サイコキラーものである。構成が、殺人者が犯罪を繰り返し逮捕収監されるまでと、収監された後の死刑の夜までの二部構成となっていて、第二部に多く頁が割かれている点が面白い。
 さらに、サイコキラーものといえば、プロファイラーが付きもので、一緒に捜査する刑事は協力的か、逆に反感を持っているかのどちらかに偏っているが、この物語では後者の刑事が登場し、ほかのサイコキラーものと色合いが違っているのは、プロファイラーと刑事の両者が物語の中で同程度の存在感がある点。二人がそれぞれの信念にしたがい、それぞれの価値観で捜査をする過程が交互に繰り返されている。
 またプロファイリングの活用自体も、サイコキラーを捕らえるためだけではなく、その後、死刑囚となった男の発言の真意を探り、男自身の心を解体していくために使われている点が新鮮だった。
 第二部では、刑務所に収監されている男の言動が元になり物語が動いていく。少年殺害事件を、男は自分のコントロール下にあるように振る舞うことで、死刑執行を免れようと画策するが、事件の関係者は誰もそれを信じてはいないし、読者にも、本当は関連があるかもしれないという疑惑や不安感を抱かせるようには描かれていないことが意外である。
 話の構成上は、男と新たな殺人事件が関係しているという展開の方がスリリングであるように思えるが、あえてそうしなかったのは、男や、彼と彼の事件に関わった人々の内面や人生を中心に描こうとしてるからだろう。新しく起きた事件は、それをも利用しようとする男の心の裡を語る材料になっている。
 男の幼少時のトラウマについては、よくあるサイコキラーものと変わりはないが、彼とその母親、そして祖父と、繋がっているおぞましいものがじわじわと浮き上がっていく課程に胸苦しさを覚える。
 男の周囲に広がる悪意の連鎖、伝染と、FBI捜査官のキーナンの過去、刑事の過去の物語との対比で、人が生まれ育つ課程にある別れ道を鮮明にし、さらに暗闇にいても差し込む光があるかないかで変わっていく人生の様を繊細に描いている。
 思考はいつも空回りし、思うとおりにはならないこの男は、決してレクター教授のように大きな影響力を持っているわけではなく、優れた能力、才能があるわけでもなく、悲しいほどに矮小な人間として描かれいる。そのちっぽけな人間から止めどなくわき出してくる悪意の救いようのなさに寒気を覚える。
 タイトルも秀逸である。「カイン」は「カインとアベル」の兄弟殺しの「カイン」であり、殺人者の象徴である。「檻」は、監獄という意味もあるだろうが、悪意の檻の中に閉じこめられ、或いは自らを守るために檻を作り出し、そこに閉じこもって生きるしかない人間の恐ろしさを表現しているように思える(原題は“THE BOOK OF CAIN”だけど)。
 彼もまた被害者である、とは簡単に言えない男の残虐性と果てしない悪意は出口のない檻の中で濃度を上げ続けていき、それゆえに時に心の中に檻を作りながら、しかし檻の外でわずかな光を頼りに生きていく人間の脆さ、そして同時に強さが際だつラストに救われる。
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