箱館売ります

箱館売ります―幕末ガルトネル事件異聞

箱館売ります―幕末ガルトネル事件異聞

 ロシアの秘密警察「第三部」に所属するユーリイは、祖国での自分の地位を確固たるものにすべく動乱期の日本を訪れたが、目論見がはずれ、なんの手みやげも持つことなく帰国する日を思い、鬱々たる日々を蝦夷地(現北海道)で送っていた。そんな折、この地で広大な農場を経営するプロシア人リヒャルト・ガルトネルと再会する。リヒャルトは弟コンラートの才覚で、新旧政府交代の混乱に乗じ、まんまと広大な農地を借り上げたのだ。その話に起死回生の糸口を見いだしたユーリイはガルトネル兄弟と共謀し、榎本武揚を総統とする蝦夷脱走軍と新政府軍との戦を利用して、再び広大な農地を借りることを画策する。その契約に、領土の一部を英国に奪われた清国の二の舞になる危険を感じながらも、財政難で追いつめられていた榎本たちは締結へと傾く。しかし、国を切り売りするに等しいその暴挙を止めようと立ち上がった男たちがいた。

 面白かった。若干軽いかなという気はするが、テンポも良く、当時の複雑な状況もわかりやすく、退屈させられずに読め、最後まで楽しめた。
 時代は幕末、蝦夷に行き着いた旧幕府脱走軍が新しい国家を樹立すべく箱館(現函館)を占領してから物語は動き始める。新政府軍が戦を仕掛けてくる春までに、蝦夷での足固めと防衛の強化を図っている間の休戦期に事件は起こる。
 中心は、一発逆転を狙っているロシア秘密警察のユーリイと商魂たくましいプロシア人のガルトネル兄弟、脱走軍に身を投じる蝦夷の知識人金十郎、脱走軍に対する現地抵抗勢力の斎藤順三郎、そして脱走軍に所属する新選組副長土方歳三。この立場の違う者同士がそれぞれガルトネル事件に関わっていく流れが丁寧に描かれているので、虚構も違和感なく読める。
 中でも土方歳三は美味しい役所である。彼は脱走軍において常勝将軍と呼ばれ、物語の中でことあるごとに戦上手が強調されるのだが、話の中心は休戦期であり、活躍場面がない。それ故に、ラストに用意されたけれん味たっぷりの展開が愉快である。
 大きな夢は見ないが、大きな夢を見る者に惹かれるという副将の器である自分を自覚し、政治的な野心もなく、思想もなく、ただ戦が面白いという、この土方の造形が好みだったので、より楽しく読めたと言える。その土方が惹かれる榎本武揚のあっけらかんとして、懐の深いキャラクターも良かった。
 おそらく作者は土方が好きなんだろうなあ。近藤、沖田が迎えに来る夢のエピソードや、餅を丁寧に焼くシーンなどを入れたのは、司馬遼太郎へのオマージュだろうか。
 ただ、上記人物も含め、物語の中心に良くも悪くも感情を刺激するような極端な人がいない点が安心感に繋がり、反面ちょっと物足りなさを覚えてしまうのかもしれない。
 この「ガルトネル事件」というのは実際にあった出来事である(無論、土方の関わり方などは創作だろうが)。本書を読む場合は事件についての詳細は知らない方がいいだろう(ネタバレになるから)。
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