帝王の殻
- 作者: 神林長平
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1995/09/01
- メディア: 文庫
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火星の都市に暮らす人々は、火星全域をカバーするアイサネットの端末であり、自分の第二の脳とも言えるPAB(パーソナル人工脳)を所有している。生まれ落ちてからこれまでの人生の記憶が入力され、分身であり、相談相手であり、魂でもあるPABと人とは分かちがたく結ばれていた。
秋沙恒巧は、そのPABを生産し提供し、火星を支配する大企業秋沙能研の「帝王」と呼ばれた享臣のただひとりの子どもだった。現在の体制を作り上げた父と父の会社を嫌って家を飛び出し、放浪していた恒巧だったが、結婚を期に妻を伴い故郷へ帰った。最後まで相容れなかった父は、恒巧に愛想を尽かし、孫である真人を後継者として指名し、死んだ。
しかし、まだ幼い真人は生まれた時から言葉を話さず、外部の刺激に一切反応せず、感情を表に出すこともない、魂の無い人形のようだった。今も尚、自分の生き方、火星人の生き方に疑問を抱き続けながら、恒巧は息子の将来を思い、成長するまでの間、会社を守るべく四代目能研長となる。
が、父享臣は死後も本来なら所有者と共に葬られるPABを残すことで、支配者で有り続けようとした。
しかし、アイサネットに変わる新しいシステム、人工知性体アイサックが動き始めた日、突然真人に異変が起きる。自発的に行動するようになり、子どもとは思えぬ言動をし、「私が火星の王である」と宣言した真人に何が起きたのか。恒巧は、息子である真人の中に異質なものの存在を感じる。
長い長い、火星の一日の話。ラスト近くになって、そうか、これは一日で起きたことなんだと気づいた。長い、濃い物語だった。
PABは、生まれたての人間と同じように真っ白の状態から、その所有者と会話を重ねることで成長していく。そのため、所有者と同じ記憶を持つPABは、所有者の脳のコピーであり、肉体の外に存在する副脳であるため、所有者もPABも互いを同一視している。
鏡に自分の姿が映ることが当たり前であるように、人々にとってPABは存在して当然のものであり、PAB無しには生きていくことさえままならない。
PABが普及していない未開発な地域で生まれ育ち、恒巧に連れられて秋沙へ来た妻の視点同様に、PABと会話する人々や、PABを所有者と同一のものととらえることの異様さに、引き込まれていく。
同じ記憶を共有するPABは自分と同じなのか。同じであるならどちらが主で、どちらが副なのか。その差はどこにあるのか。PABが考えたことは、すなわち自分が考えたことなのか。人の魂とは、記憶のことなのか。『あな魂』同様、この物語でも人間であることの境界が曖昧で、人を人たらしめているのは何であるかに揺れ続ける。
ストーリーの流れは比較的単純でわかりやすくスリリングで面白い。『あな魂』と同じく、中盤から事態が後戻りできない状況に陥り、全てが動き始めると読むのを止められなくなる。
結局、PABに頼らず生きてきた母(妻)が、息子の中に最初から全ての課程をすっ飛ばして見ていたものも、父(恒巧)が様々な紆余曲折を経て見つけ出したものも、最後にたどり着いた場所は同じであり、そこには生あるものが脈々と繋いできた、生身の動物のネットワークのようなものの存在が感じられる。そのネットワークは、人工的に作られたネットワークの介入により、揺らぎ、不安的になり、もろくはなるが、ずっと柔軟でタフである。
生きているものの持つネットワークを再構築し、そして父と自分、自分と息子の壊れたネットワークを修復する物語でもあることに、感動を覚える。
前作(時系列では一番新しい)『あな魂』に登場した彼が再び登場し、『帝王の殻』の登場人物との少なからぬ因縁を思わせる設定に興味を惹かれる。最新作(時系列では最古であり、全ての始まりとなる)『膚の下』で、様々な謎が明かされるのだろうか。
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