新選組!

 自分は新選組が好きで、史実もある程度は知っているが、そうではなく、全く新選組を知らず、幕末に特段の思い入れもない人があのドラマを見た感想というのは、どんなもんなんだろう。
 私は先入観があるので、一つのドラマとして純粋な評価が下せないような気がするのだが、それでもこれが新選組を扱っているということをプラスにせよマイナスにせよ、感情の中から差し引いて、単純に、物語として好きではない、と今回の話でしみじみ感じた。
 このまま、あの近藤は「みんないい人なんだ」で進めるつもりなんだろうか。つまりは、近藤自身、誰にでも「いい人」であるわけだ。好きずきなんだろうが、悪不在の「みんないい人なんです」って物語ほどつまらないものはない。
 悪にだって存在意義がある。それを否定して、「みんな仲間」なんて、造花で作ったようなお花畑な構図に、なんでするのかね。つまらないなあ。
 悪、と言っても主人公側から見た悪、つまり対立する側のことだけど、悪には悪なりの主義主張と正義があって、それを感じ取るのは視聴者の役目だと思う。主人公の敵だし、確かに嫌なやつだ、ムカツク、でも憎みきれない、できれば勝って欲しい、無理だけど、つらい、哀しい、なんて複雑な愛憎を抱くのは、視聴者の立場ですることだよ。悪を憎み、愛することで、主人公をより愛し、憎むことができるんじゃないのか。
 それを物語の中で誰とも対立させないで、主人公自ら「仲間なんだ、同じ志を持った人なんだ」なんて、誰とも味方同士になりたがる。だから、近藤ってなに? って感じになる。輪郭がなんにもない曖昧な人。あっちにもいい顔、こっちにもいい顔、みんなと仲良くね、なんてやってっから、何考えてる人? 何を感じてる人? 何がしたい人?って、見ていて混乱するし、共感できなくなる。
 自分とは違う正義、違う主義、違う生き方を真正面から受け止めなさいよ。対決を避けてさりげなく横に並ぶなよ。奪う命、奪った命と向き合って、人として立つんじゃないのか。屍を堂々と踏み越えていけよ。それが礼儀だ。この先、ホントは仲良くしたかったんだ、こんなこといやだったんだ、なんて言い訳しながらまたいで通るつもりか。卑怯なんだよ、こういう描き方は。
 まあ、悪(対抗勢力)を描かないというのは、悪になりたくないという裏返しなんだろうな。「みんな気持ちは一緒なんだ、立場が違っていただけなんだ」って持っていきかたをしないと、時代の中で逆賊扱いになる新選組を良いものとして描けないのかもしれない。対抗勢力をいい人、仲間として描くことで、逆説的に新選組も彼らと同じように、国を憂い、志を持って生きてきた人の集まりなんだ、ってことにしたいのかねえ。「みんないい人」つまりは「俺もいい人」ってわけだ。
 ぬるい。新選組新選組なりの義を描けばいいんだよ。逆賊だろうが、悪だろうが、自分なりの正義と意思の中で必死に生きていたことを、あるいはただひたすら生きたことを描いてくれよ。明るいドラマにしたいなら、時代がなんだ、思想がなんだ、俺は出世したいんだ、とにかく侍になるんだぜ! 四の五のぬかすなこんちきしょう!でいいじゃん。格好悪い「いい人」じゃなく、格好いい悪を描け。