あなたの魂に安らぎあれ

あなたの魂に安らぎあれ (ハヤカワ文庫JA)

あなたの魂に安らぎあれ (ハヤカワ文庫JA)

 火星の都市、破沙に暮らす誠元(みつよし)は、閉鎖的な世界で繰りかえされる単調な日々に倦怠感を覚えていた。有害な地上で人間は生きることができないため、破沙は地下に広がる都市だった。地上では人間そっくりのアンドロイド達が都市を築き暮らしている。彼らは様々な物を生産することで、地下にいる人間の生活を支えてきた。人間に奉仕するための存在でありながら、自分たちよりも高度な文明を築き、繁栄しているアンドロイドの存在なしには生きられない現実、人は何のために生きているのかという疑念に囚われた誠元は、日々焦燥と虚無感に苛まれていた。その頃、アンドロイドの都市では、人間を排除しようとする動きと、破壊と創造の神が降りてくるという終末論を思わせる予言が広がっていた。誠元もまた、理解できない不可思議な夢を見、精神の均衡を揺るがせてゆく。予言はなにを意味するのか、アンドロイドとは何であるのか、人間たちの未来に何が待っているのか。

 破沙に暮らす誠元とその妻絹子、息子の里司、魂司祭であり予言者でもあるサイ・幻鬼の四人を中心に物語が動いていく。前半は、世界観に入り込むのに若干慣れが必要だが、ばらまかれていたそれぞれのエピソードが後半、重なり絡み合い、大きな流れとなり、ラストに向かうにつれスピード感が増していく構成に、頁を繰る手が止まらなかった。
 誠元の見る夢と、火星と、SFの組み合わせの味わいが面白く、世界観に独特の雰囲気を与えている。が、確かに今となっては、地下都市破沙や、地上のイメージは新しいものではないし、火星という世界の真実も予想できるもので、それらが明らかになったとしても驚きはない。しかし、予見できる設定であっても退屈することなどなく、物語が進むにつれ興奮が高まっていく。
 作中で、人と、極めて人に近く作られたアンドロイドとの明確な差は描かれていない。差はそれぞれの性格や人格の差であって、人とアンドロイドの間に境界はない。
 この世界に生きる人(アンドロイドも含め)を区別しているのは、「何であるか」という意識があるかないかの差でしかない。人間が暮らす破沙では、姿形、乗り物、食べ物などは幻影を投射してそれらしく見せかけている。それが本当は、見た目通りのもの、味覚通りのものではないことを意識した時に、人々は揺らぎ始める。
 しかし幻もまた現実の一部であり、「何かである」と意識した時には、その「何か」となり、そしてその「何か」でしかありえない。人間は、自分の存在も、有形のものも無形のものも、全てのものが「何かである」ことを常に心の表層で、或いは奥深い場所で意識している。
 曖昧な、揺らぎだらけの世界の中で、「何であるか」という意識を積み重ねていくことが生きるということなのだろう。その積み重ねが出来なくなった末に訪れる誠元の運命と、それを受け容れている幻鬼の運命の対比が鮮やかである。しかし、誠元の、最後に息子という存在を強く意識したあとに訪れる解放を、羨ましくも思えるのだ。だから、切ない感動を覚えるのかもしれない。
 非常に読み応えのある本だった。
 どうでもいいが、主人公の名前がなかなか覚えられなくてまいった(笑)。翻訳小説のカタカナ名の方がまだ覚えられるのは、なまじ漢字の名前だから、見た瞬間それを読もうとして読めないので、覚えにくかったのか。
(8)